差異の認識

 男女の違いなんかはちんこの有無もあるし学校等の社会的な場で区別して扱われるので否が応にも認識するし、表面的な運動能力、学力も体育やテストだったりで自分と他人とは違うんだというのは認識しますよね。でも、高次脳機能障害みたいな例を出さなくても記憶力だったり、価値観だったり考え方だったりの内面的な部分というのは、交流したり議論をしたりすれば自分と比較することできて差異や同一性を認識できるけど、外面的には当然出てくるものではないので比較できてないことの方が多くなる。で、その比較できていない状態において、多分人は他人と自分は同一であると仮定すると思うんですよね。で、その同一性という意識はその状態が普通であるという意識に繋がって、例えば差異のある人物が出てきた場合にこの人は普通ではないと認識して相手を否定して自分と同じ方向に向けようとする、なぜならそれが自分にとって普通であるから。