言葉の強度
言葉は各々強度(刺激度)を持っていて、方向は聞き手、話し手の関係性によって決まる。第三者がその方向を正確に把握するのは難しく、発せられた言葉に対するイメージ、話者に対するイメージによって実際に認識する方向は大きく歪められる。刺激の強い言葉は好きな人、嫌いな人に対して使われ、無関心な人には刺激の弱い言葉が使われる。例えば、「(相手に対して)好き!」という言葉は好きな人に対しては勿論嫌いな人に対しても皮肉として用いられうるし、「(相手に対して)嫌い!」という言葉は好きな人に対しても使われうるだろう。が、「好き」という言葉にはまず正の印象を抱くし、「嫌い」という言葉には当然負の印象を抱く。従って、第三者が、ある人が誰かに対して「嫌い」と言ってるのを観察する時、まずはその言葉をマイナスの方向を伴ったものとして認識するのは普通である。だが、観察している内に表情や文脈を汲み取って徐々にその方向を修正するであろう(「問題発言」等の類はその第一印象のみで語られるのが問題である)。しかし、ここで差別といった問題が絡むと話はややこしくなる。観察による修正より差別性の有無の方が重視されるようになるからである。
そもそも、負の印象を持つ言葉をわざわざ正の方向として使うのかというと、その負の印象ゆえ正の方向に使用した時の強度が非常に大きくならからで、これは親密度のバロメーターと言ってもいいだろう。その使用法を否定するのは親密となることもある種否定することになるわけで、結局、嫌いという感情を否定するならば同時に好きという感情も否定しかねず、残るのは無関心のみとなるのではなかろうか。