iOS 6の新Map登場によりAndroidの敗北が確実になった件について

 今回のiOS 6の新MAPを受けて、これでAndroidの勝利は確実になったなと思ったAndroid原理主義者は多いように思う。しかし、これは非常に甘い願望であり理知的な分析を欠いていると言わざるを得ない。
 まず、この新搭載のMapの最大の特徴は「ないものがある」という点、そしてこのMapにはiOS 6搭載機を所持する者しかアクセスできないという点にある。察しのいい方はもう気づいたかもしれない。つまり、このMapはiOS 6を使用できる者のみが理解できる暗号代わりとなる可能性があるのである。例えばこういうことが想定される。

「次の日曜空いてる?」
「うん、空いてるけど何で?」
「○○と☓☓と遊ぶ予定やねんけどかれをばなも来いひん?」
「行く行く」
「じゃあ、1時にパチンコガンダム駅で集合ってことで」
「えっ、何処て?」
「それじゃあ、日曜にまた!」
「えっ…ちょっと」
「ツーツー」
--こういうことが何度かあって---
「かれをばなって何度誘ってもトンズラするし、もう誘うのやめるわ」
「えっ…」

 このような陰湿な同調圧力に屈せずにいられる猛者は少数派であろうし、特に同じ物を所有することで仲間意識を確認しあう風習のある(私を含む)女子中高生にこういった事例は多く見られるようになるであろう。

 以上の分析から、残念ながらAndroidの敗北は(特に陰湿な同調圧力の強い日本において)決定的であると言わざるをえない。